旅の記録

旅ブログです。

台湾旅行1日目② 二二八和平公園

ホテルを出てまず最初に向かった観光地は、二二八和平公園です。二二八和平公園は台北駅からMRT淡水信義線で一駅の台大醫院駅の目の前にあります。台北駅から一駅なら歩いてでも行けるだろうと思い、徒歩で行くことにしました。

 

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台北の街を歩き始めて私が感じた第一印象は、「建物の多くが古臭くて何だかくたびれているな」ということです。建物の中でも駅舎や高層ビル、商業ビルなんかは近代的でとても綺麗な装いをしていましたが、それ以外は基本排気ガスですすけた感じで、日本の東京駅周辺と同じように小綺麗で洒落た感じの建物ばかりが建ち並んでいると思いこんでいた私としては、意外な光景でした。

上の写真の場合、左奥に見える高速道路の高架を越えて右に行けばもう台北駅です。このような光景も郊外や田舎の街並みだとしたらまだ分かるのですが、台湾の中心地である台北駅周辺ですらこんな感じということで、それが個人的にはカルチャーショックでした。ただ、このような台湾の街並みも他のアジアの国に比べたら遥かにマシなようですが……。(確かに道にはゴミはほとんど落ちていないし、その辺は日本と変わらず清潔でした。)

 

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そしてもう一つ、台湾の街を歩いていて感じずにはいられないのが、バイクの多さです。台湾のバイクの多さについては他の多くの台湾旅行記でも触れられていますが、実際に現地に身を置いてみると、その多さが尋常ではないということを実感します。上の写真1枚目は高速高架下の大通りで信号待ちをするバイクの集団の様子ですが、ざっと20台は停まっています。そして2枚目。台湾では道路脇にバイク専用の駐輪エリアが用意されており、至る所にバイクが駐輪されています。これも日本では中々見られない光景ではないでしょうか。

 

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日本でバイクと言えば男性がよく乗る乗り物であり、特に若い女性がバイクに乗っている姿はあまり見かけませんが、台湾だと老若男女問わず、あらゆる人がバイクに乗っているということがよく分かります。台湾におけるバイクは、日本でいう自転車に相当するくらい手軽で身近な乗り物だと認知されているのでしょうね。

 

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歩いている途中にて………、この歩道脇に置いてある箱形のやつ、何という名前か分かりませんが(*1)、洒落た落書きがされていたので思わず撮ってしまいました。本当に恐竜が飛び出してきているかのような3D風のペイント。例え落書きでもこういう趣向に凝ったものは個人的に歓迎したいですね。

(*1)…電線共同溝(電線を地中に埋設する)に伴い設置される地上機器だそうです。

 

 

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台北駅を過ぎ公園路という通りまで来ました。この賑やかな大通りを南下していけば、右手に二二八和平公園が見えてきます。

 

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二二八和平公園に到着しました。どうでもいいですけど左奥には献血車が停まっていました。

 

二二八和平公園を散策

 

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さっそく公園内を散策してみます。すると……、何とさっそく台湾リスがお出迎え(?)してくれました。この公園内にリスが生息しているということは聞いていましたが、こんなに簡単に出会えるものだとは……、と一人感動していましたが、いざ公園内を周ってみると思っている以上に台湾リスは多く生息しているようでした。それにしてもつぶらな瞳で何とも可愛らしい。日本では野生のリスは滅多に見かけないので、間近で観察できて貴重な経験になりました。

 

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中国式三重塔(?)がありました。

 

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塔の周りはこのように池に囲まれています。ちなみに塔の横に置いてあるベンチにはおっさんが寝ていました(笑)

 

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公園内に植えられているのはパイナップルとヤシの木?さすが南の島の国・台湾らしく、植樹されているものから日本と全然違います。

 

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公園の中心部には巨大なモニュメントがあります。この公園の名前の由来となった二二八事件を追憶し、平和を紀念するために造られたものです。

 

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モニュメント前にあった碑文です。書かれているのは中国語なので私にはさっぱり読めませんが……、一番左端に注目すると「中華民國八十六年二月二十八日」とあります。どうやら台湾では暦を西暦ではなく基本的に「中華民國〇〇〇年」と表すようで、大抵が西暦表記になっている日本のことを考えると、文化の違いというものを実感しました。ちなみに「中華民國……」の暦は孫文中華民国を建国した西暦1912年を起点とし、今年で中華民國107年になります。(さらに言うと、「中華民國〇〇〇年」は日本の大正時代が始まってから〇〇〇年と一致します。)

 

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二二八紀念碑を見終え二二八紀念館の方へ向かっていると、また台湾リスに出くわしました。いやはや何度見ても可愛らしい。日本だと猫が人気で、「好きな動物は?」と聞かれたらとりあえず「猫」と答えとけばいいだろ的な風潮がありますが、私は断然リス派ですね。

 

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公園の南端にある二二八紀念館に到着しました。この旅の主目的の一つが、二二八紀念館を訪れて二二八事件について勉強することでした。さっそく中に入ります。

 

二二八紀年館

そもそも二二八事件とは……?ということから書き出すと話が長くなりすぎるので、それについては別記事で改めてまとめたいと思います。ここでは二二八紀年館という建物についてと、二二八事件とは直接関係のない展示品について少し紹介しようと思います。

 

二二八和平公園は今年で開園110年という長い歴史を持ちますが、元々は「台北新公園」という名称でした。開園当時、台湾は日本に植民地統治されており、台北新公園は日本の台湾総督府の主導により、台湾初の近代的都市公園として建設されました。それから88年、途中統治者が日本から国民政府に変更されるという大きな転換点があったものの、この公園は「台北新公園」という名前のままであり続けました。

しかし、1987年に戒厳令が解除され(この戒厳令は実に38年間も続いていた)、台湾に言論の自由がようやくもたらされると、これまで「タブー」扱いされていた二二八事件についての議論・研究が活発化しました。そして1996年の2月28日、二二八事件が発生してから半世紀が経過しようかという頃、当時の台北市長の陳水扁(後の中華民國総統)は二二八事件という台湾史上最大の悲劇を歴史的事実として残し、犠牲者を追悼するために、台北新公園を「二二八和平公園」と改称、その翌年の同じ日に「二二八紀年館」が建立されました。

ちなみに、二二八紀年館は元々は日本が建てた「台北放送局」というラジオ局(今のNHK)だったのですが、当時事件のあらましが素早く伝わり、支配者層に対する抵抗運動が全島的な盛り上がりを見せたのは、このラジオ局を住民が占拠し、台湾全土に蜂起を呼び掛けたからでした。そういう意味で、二二八和平公園は二二八事件にとって極めて重要な場所であり、二二八紀年館は当時のラジオ局があったその場所に建てられました。

 

館内に入ると、比較的最近建てられた建物ということもあり、大変綺麗な空間が広がっていました。まずは入って右手にいる受付のおばちゃんに入館料20NT$(74円)を支払います。それにしても台湾の歴史館や博物館はお値段がリーズナブルです。おばちゃんは日本語ができる方だったのでスムーズにやり取りすることができました。また、日本語で聞ける音声ガイド機器も貸してもらいました(パスポートと引き換え)。

館内の展示内容は、二二八事件だけでなくその前の日本統治時代や国民政府初期の統治、その後の白色テロについてまで多岐に渡っていました。ただ「二二八事件」という一事件を学ぶだけでなく、台湾の近現代史を平和・自由・人権という観点から広く学ぶことができる内容になっています。ただ、館内の展示品を説明する文章は基本台湾語か英語なので、日本語しかわからないと基本音声ガイドに頼ることになりますね…。最近は日本国内でも二二八事件について書かれた書籍が多数出版されているので、それらを読むことでより理解が深まると思います。

 

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展示品には、日本統治時代に関わるものも多くありました。日本人としては興味深く見ることができると思います。上の写真は右が「國語家庭牌」、左が「國語家庭懸掛木牌」です。1930年代後半から、台湾では内地人(日本人)以外で日本語を常用している家庭を「國語常用家庭」として表彰し、他から分かるように表札をかける政策が行われていました。要するに皇民化政策の一環なわけですが、当時「國語常用家庭」として認定されると配給が少し多くもらえたり、進学が有利になるなどの特典があったため、台湾人は「國語常用家庭」として認められるよう比較的積極的であったといいます。

 

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これは教え子たちから寄書きされたものと思われる日の丸です(『先生、お元気で。〇年〇組』と所々に書かれている)。また武運長久とあるので、恐らく出征時に作られたものなのでしょう。今でもオリンピックに出場する選手などへこの伝統は受け継がれていますが、それにしても昔の人は大変達筆ですね。私の字は汚いというか丁寧さがないので、当時の人たちを見習いたいところです。

 

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ガラスの板で台湾島を模した芸術作品。台湾中央部から東部にかけては山脈が南北に貫いていますが、その高低差をガラスの板の層で再現されており、素晴らしい作品です。

 

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紀年館の外に出ると、レンガの壁に二二八事件の犠牲者の顔写真が羅列されていました。その間には、犠牲者を追悼するために白い布が括り付けれらています。二二八事件は首謀者である国民党政府によりその歴史が長い間ひた隠しにされていたため、未だに犠牲者の数が正確に分かっていません。この辺の不明確さは、お隣の中国共産党と通じるところがありますね。

 

再び二二八和平公園散策へ

 

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2時間近く紀念館を見学し、再び公園内の散策に出掛けました。

 

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写真だとあまり写っていないんですけど、公園内には地元の人たちがたくさんいて、ベンチに座ったり寝たり(笑)してくつろいでいました。また、私が紀念館を出た時はちょうどお昼時だったからか、サラリーマンやOL、学生風の人たちもたくさん見かけて、ベンチでお昼ご飯を食べているようでした。この公園は台湾の官庁街のただ中に位置し、本当に「都会の中のオアシス」の名に相応しい公園なんですね。

 

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公園内北端にある國立台湾博物館。これも日本統治時代に建てられた建物で、元々は歴代台湾総督府屈指の名コンビ、児玉源太郎総督と後藤新平民政長官を記念する建物だったそうです。やはり戦前に建てられた建物は何というか風格がありますね。ちなみに今回は時間の都合上中に入っていません。

 

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國立台湾博物館をバックに、柴は「TAIPEI」の文字に刈られています。園内を回ってみると、西洋風公園として造られた当時の趣向が随所に感じられ、また台湾リスをはじめ野生の生き物も数多く生息し、都会の喧騒から離れられる良い公園だと感じました。

 

さて、そろそろ次の目的地に行かないといけない…、というかまず腹が減ったので(笑)、お次は昼食を食べに台北101へ向かいました。

 

続く