旅の記録

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台湾旅行2日目① 早朝ランニング、総統府

2018年4月28日(土)

台湾2日目の朝を迎えました。昨日は疲れから寝るのがかなり早かったのですが、その分翌朝の目覚めもかなり早く、今日は午前5時頃には起床していました。

せっかく早起きできたということで、今日はまず予定どおり台北市内をランニングすることから始めることにしました。実は私はランニングが趣味でして、海外旅行に行くときは必ず現地を走るようにしているのです。

 

台北市内を早朝ラン、総統府

 

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準備をして5時半頃にホテルを出ました。写真は早朝の台北市内の様子です。あんまり日中と変わらない感じですが、ただ湿気は相変わらずかなりあります。

今回は昨日行った二二八和平公園を経由して、そのすぐそばにある総統府まで走って行くことにしました。距離的には片道で2kmと少し。ちょっと寄り道して往復30分ぐらいでは帰って来れるだろうという見積もりで出発しました。

 

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前にもちょろっと書いたのですが、私は筋金入りの方向音痴なのですが、二二八和平公園は昨日行ったこともあり、さすがに今日は迷わずスムーズに行けました。

写真は二二八和平公園の手前にあった、明らかに日本統治時代に建てられたであろう建物。後で調べたら旧銀行で、今は二二八和平公園内にある國立台湾博物館の分館となっているようです。

 

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早朝の二二八和平公園内の様子。写真だと全く人が見えませんが…。

 

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公園内を通って南西側の出口から出ようとすると、 大きな総統府の建物が姿を現しました。

 

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総統府も日本統治時代に建てられたものが現在も残っている事例の一つで、建設当時は台湾総督府という台湾における最高権力機構でした。戦争が終わると台湾は中華民國に接収され、総督府という機構も解体されましたが、建物自体はその後も総統が執務を行う施設として現在も使われ続けています。

このように総統府は現在も台湾における最重要施設なので、その警備も非常に厳重です。とりあえずさも近所に住む地元民風を装って建物の周りを一周してみたのですが、朝5時台であるにも関わらず警備に当たる憲兵がうようよいました。日本における警備の警察は警棒を持っているぐらいですが、こっちの警備兵はライフル銃を携えているので威圧感がありまくりです。

 

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さらにここの警備兵は、話によると近くで総統府の写真を撮っているだけですっ飛んで来てめちゃくちゃ怒ってくるらしいので、ビビりな私には正面の写真はこの距離からが精一杯でした…。

ただ、実際に建物を目にした感じ、その重厚さはかつての「最高権力機構」の名に相応しい建物だと思いました。ちなみに、総督府は台湾だけでなく同じく植民地だった朝鮮(韓国)にもあったのですが、こちらは国民からの要望によって、1995年まで建物が存続したにも関わらず取り壊されています。この辺り、両国の国民性の差が出ているといえますね。

 

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総統府の近くで白色テロ被害者のための紀念碑を見つけました。白色テロとは前回の記事でも少し触れましたが、1949年以降蒋介石が推し進めた恐怖政治のことです。

国共内戦の敗北が決定的となって台湾に逃げ込んだ蒋介石は、「国共内戦のゴタゴタに紛れて共産党のスパイが台湾に侵入してくることを防ぐ」という名目で、共産党と関係のありそうな人物を片っ端から粛清していく政策をとりました。ところが、実際に粛清の対象となったのは共産党の関係者だけではなく、むしろ全く無関係の人たちがほとんどというのが実態でした。

蒋介石は、自身に批判的で自らの独裁政権を脅かしそうな人物に「共匪(共産党のスパイ)」というレッテルを貼ることで、反体制派を弾圧するための格好の手段としていたのです。しかも、当時の台湾には戒厳令が敷かれていたので、共匪と断定し処刑するまでの過程で適切な法的・司法的な処置は全く取られず、完全に政府や軍のやりたい放題というのが実態でした。このような、共産主義勢力の排除に見せかけた反体制派の大弾圧が、白色テロです。

こうして、1950年前後にかけて大量の反体制派の人々が無実の罪を着せられ粛清され(もちろん中には本当に共産主義関係者もいましたが)、その後も反体制的な言動は弾圧され続け、白色テロが終了するのは戒厳令が解除された1987年まで待たねばなりませんでした。(ちなみにこの戒厳令の37年連続敷設というのは圧倒的な世界記録です。)

当時の台湾(中華民國)は、大陸の方の中国と差別化を図るために「自由中国」という自称を対外的に宣伝していましたが、このような恐怖政治が行われていてはその実態は大陸の方と何ら変わらず、自由も民主も存在しない抑圧された国に過ぎませんでした。そんな台湾も現在は自由で民主的な社会となり、「自由中国」の名に違わない国家に変貌を遂げたわけですが、そのような劇的な変化が起こったのが昭和の晩年の話であるとは、若い私のような人間にとっては意外に感じられます。今の台湾が世界随一の「親日国家」として認知されているのも、白色テロという受難を乗り越えなければ有り得ない話です。そよの国のローカルな歴史とはいえ、日本人としても知っておかなければならない知識といえるのではないでしょうか。

 

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話変わって、帰り道、巨大な温度計のメーターを見つけました。午前6時の時点で気温22度。暑い…。

 

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またまた話が変わり、台北駅付近の交差点にて。私が台北の街を歩いて感じた第一印象は「建物の多くが古臭くて何だかくたびれている」なのですが、その象徴的な建物を見つけました。台北駅近くの交差点という超立地の良い場所に構えていて、しかも建物の規模もかなり大きいにも関わらず、このくたびれ具合。これじゃあせっかくの好条件なのに人もテナントも入らんでしょう。新しく建て替えれば絶対に儲かるはずなのになー、と見ていて勿体なさを感じずにいられませんでした。

 

 

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はい、写真に合わせて色々と話が移り変わりましたが、予定どおり30分弱(立ち止まっている間は除く)でホテルに戻ってこれました。早朝でしたが滝のように汗をかきました…。

その後は部屋で少し休憩を挟み、7:30には再度ホテルを出て2日目の観光に向かいました。第一の目的地は國立故宮博物院。台湾屈指の観光名所ということで、開館時間に合わせて行くことにしたのです。

 

続く