旅の記録

旅ブログです。

20180624 「坂の下に見えたあの街」を訪ねる

人間誰しも、好きな音楽や歌手というものがあると思います。私の場合は複数ありますが、特に高校時代に聴き込んだのが「尾崎豊」です。

尾崎豊……。彼の死からもう四半世紀以上の時が流れましたが、尾崎は私が生まれる前から既に故人という存在でしたので、私にとっていわゆる「世代」という歌手では全くありません。

当然、同世代の人たちと「歌」という側面で話題が合うこともなく、そういう意味でこれまで少し苦労したところもありましたが、それでも高校時代という多感な時期に、尾崎豊という歴史に名を残す歌手に出会えたということは、自分にとって幸運なことであったと今でも思っています。

そんな尾崎豊ですが、彼は1965年、東京都内で生まれ、小学校5年生の時に埼玉県朝霞市に引っ越してからは、実家は今も朝霞市内の住宅街の中にあります。今回は、尾崎ファンとして一度は行ってみようとずっと思っていた、尾崎豊の生家を訪ねる旅です。

 

 

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というわけで、JR武蔵野線北朝霞駅にやって来ました。尾崎豊の実家は、ここから南に30分程歩いたところにある「溝沼」という場所にあるそうです。さっそく駅の東口を出て溝沼まで歩いて行ってみます。

 

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北朝霞駅は台地の上に建っているようで、歩き始めて程なくして下り坂に差し掛かりました。空は梅雨の時期の6月にしては珍しく、綺麗な青空が顔を覗かせていました。

 

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坂道を下り終えると、黒目川という一級河川まで辿り着きました。川では子供たちが楽しそうに水遊びをしています。

 

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黒目川を渡り、溝沼の住宅街の中に入っていきます。溝沼という地域は全部で七丁目もあり、結構範囲が広いのですが、尾崎の実家はその中にある「滝の根公園」という公園の近くにあるそうです。とりあえずその公園を目印にして向かうことにします。

 

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私は方向音痴なので、住宅街の中を迷わずに進むことなど当然あり得なかったわけですが、何とか滝の根公園の方まで辿り着きました。滝の根公園は見てのとおり、緑が豊富で木製のアスレチック遊具もあるなど、子供が自然に親しみ外で遊ぶには最適な公園のようでした。

 

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せっかくなので公園内を一通り回ってみます。滝の根公園は丘陵地帯に造られた公園なため、南北にかけてかなりのアップダウンがありました。また地面は舗装されておらず、さらに前日に雨が降った影響で下がかなりぬかるんでいたため、この日は普通に歩くだけでも結構危なっかしかったです。でも、これぐらい自然なままでいた環境の方が、子供が遊ぶ場所としてはちょうど良いような気もします。

公園の北端から西の方へ進んでいくと、写真のような吊り橋に辿り着きました。こちらもせっかくなので渡ってみることにしましたが、そんなに大して高くないにも関わらず、高所恐怖症の自分にとっては結構怖かったです。。台湾で体験した烏山頭ダムの吊り橋よりは遥かにマシであると分かってはいても、やっぱり怖いものは怖かったですね。

 

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何とか吊り橋を渡り切って、向こう側にあったベンチに座って少し休憩します。自販機で買った飲み物を飲みながら、しばらくゆっくりしていると、ふと公園の外側が坂道になっていることに気がつきました。

あれ?と思って坂の方に出てみると、

 

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こんな看板を見つけました。この坂の名前は見てのとおり「神明坂」というそうです。

「これだ!」と看板を見つけた瞬間一人テンションが上がってしまいました。何を隠そうこの坂は、尾崎のとある楽曲のタイトルにもなっている、ファンの間では結構有名な坂なのです。その楽曲とは『坂の下に見えたあの街に』。

 

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尾崎が上京のため朝霞の実家を出る際、残された両親に向けてのメッセージを歌った曲です。

私も大学入学と同時に上京して実家を発った人間なので、この曲は自分と重ね合わさるようなところが感じられ、結構お気に入りの曲の一つなのですが、この曲のタイトルや曲中において何度か出てくる「坂」というワードこそが、今この場にいる「神明坂」のことなのです。

 

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尾崎はこの曲において、神明坂を自身の朝霞の実家とその街を象徴する、いわゆるランドマーク的存在として位置付けています。確かに実際に身を置いてみると、神明坂はかなり傾斜が急な坂であり、毎日ここを通っていれば自然と印象に残るものだろうなという風に感じました。

曲名のとおりにいけば、この急坂を下り切ったところの何処かに、尾崎の実家があるはずです。いよいよ長年の夢であった尾崎豊の実家まで辿り着けると、少し胸をドキドキさせながら坂道を下りていきました。

 

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坂を下りるとまた住宅街となっていましたが、何とか無事尾崎豊の実家まで辿り着きました。(ちなみに詳細な場所については、一応個人情報になると思うのでここでは載せません。ネットで調べればすぐに分かるとは思いますが。)

しばらく家の前に立ちながら、「あー、ここが尾崎豊が青春時代を過ごした家か~」と考えながら少し感慨深さに浸ってしまいました。ちなみにこの家は、現在実質空き家の状態になっているということで、実際に行ってみると、確かに誰かが住んでいるという形跡は見当たりませんでした。まだご健在の尾崎の父親、康さんが少し前までは住んでいたそうなのですが、今は家だけ残してご自身は別の場所で住まわれているということです。

 

 

ここで、私がどうして高校時代に尾崎豊を聴くようになったのかについて、少し書こうと思います。

きっかけは、高校に入学してすぐに受けた家庭科の授業でした。そのときの家庭科の先生は若い女の先生だったのですが、その先生は初回の授業でいきなり、私たち生徒に尾崎豊の「15の夜」と「卒業」を聴かせ、その感想をプリントに書くという課題を与えました。

……今考えると中々思い切った授業をしたなという風に思うのですが、当時まだ尾崎豊について何も知らなかった私は、そのときはまだ「どっかで聴いたことがある曲だな~」というぐらいにしか思いませんでした。

私が尾崎豊にのめり込んでいくことになったのはその後です。その日の帰宅後、何となく尾崎豊について色々調べてみたところ、尾崎が「15の夜」や「卒業」だけでなく「I LOVE YOU」という曲も作っていたのだということをそのとき初めて知りました。

「I LOVE YOU」といえば、今でも多くのアーティストがカバーしている尾崎の超有名な楽曲です。私も、私の母が家事をしているときによく「I LOVE YOU」をラジカセから流しているのを聴いていたので、曲自体は前から知っていました。

しかし、その「I LOVE YOU」が尾崎豊の曲だったということまでは全く知りませんでした。さらに、尾崎はあんな甘い曲調のバラードを歌い上げている一方で、「15の夜」や「卒業」といったかなり過激な歌詞の曲も同時に作っていたということが、そのときの私にとってはかなりの衝撃でした。当時の私は、音楽家というものはバラードならバラード、ロックならロック、パンクならパンクと、同じようなジャンルの曲しか作れない(歌えない)ものなのかと勝手に思い込んでいたので、まるで相反する二種類の楽曲を巧みに歌い分ける尾崎豊という存在が、これまで出会ったことのない全く新しい種類の歌手であるように映ったのです。

それ以降、私は尾崎豊とその音楽に一気に傾倒していくようになりました。あれから9年が経ち、今振り返ると私が尾崎豊にはまった理由は幾つかありますが、その一つとして、尾崎には他の歌手には見られない“二面性“的なものを持ち合わせており、その点が私の心を強く惹き付けていたのだろうと思っています。(個人的には、彼は二面ではなく“三面“持ち合わせていたと思っていましたが)。

 

…こうして私は尾崎豊の曲を聴くようになったわけですが、同時にいつか朝霞にある「坂の下に見えたあの街」まで行って、尾崎豊の実家をこの目で見てみよう、とずっと心に決めていました。ようやく今日、その夢が成し遂げられたことで、何だか少し肩の荷が降りた気分になりました。

尾崎の実家は、前述したように住宅街のど真ん中に位置していたため、そんなに長居するわけにもいかず、数分でその場を跡にしました。しかし、私にとっては例え数分であっても、十分に価値のある時間となりました。

 

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最後に、私が『坂の下に見えたあの街に』の中で、個人的に一番好きな歌詞を紹介して、この記事を終わりにしようと思います。

坂道のぼり あの日街を出たよ

いつも下ってた坂道を…

尾崎は高校時代、東京都心にある青山学院高等部に通っていました。彼はいつも、「あの坂道」の向こう側にある東武東上線朝霞駅から電車に乗って渋谷に通い、学校が終われば「坂道」を駆け下りて両親の待つ自宅へと帰っていたはずです。そして時が流れ、彼が高校を退学して上京することになったとき、彼は「あの坂道」のさらに向こう側にある東京に向かって車を走らせ、両親と実家へ別れを告げた…。

尾崎豊らしく、かつての日常とその別れの情景のコントラストを、たった二行で簡潔にまとめ上げた一節です。今回、「坂の下に見えたあの街」を実際に訪ねたことで、この歌詞に書いてあったことは本当のことだったんだな、ということを実感できたことが、本日一番印象に残ったこととなりました。