旅の記録

旅ブログです。

夏の高知旅行1日目② はりまや橋と高知追手前高校

はりまや橋

 

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高知城高知駅の南西側にあるので、とりあえず国道32号線を南下していきます。それにしてもこの道路は、前回の記事でも少し触れたとおり、中央に路面電車が走っていたり、 両端にヤシの木が連なっていたりして、歩いていて非常に気持ちが良いです。そして何より天気が良い。先週の大雨が過ぎ去った影響か、この週末はまさに台風一過の青空が広がっていました。

 

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歩道を歩いていると、道沿いに唐突にカレーパンマンの石像が姿を現しました。実はアンパンマンの作者であるやなせたかしさんが高知ご出身であり、恐らくその関係で造られたのでしょう。この他にも、アンパンマンのキャラクターの石像があちこちに散らばっていました。

 

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それからさらに3分程歩くと、「はりまや」という名前の大きな交差点に差し掛かりました。これはもしや、かの有名な「はりまや橋」が近くにあるのではないかと辺りを見回してみたところ、ありました。これがはりまや橋です。

 

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はりまや橋といえば、「日本三大がっかりスポット」として日本全国にその名が知られていますが、確かにこれは「日本三大」の名に相応しいレベルのがっかり度合いです。私も思わず「有名な橋っていうからめちゃくちゃ大きいかと思ったら、ミニチュアサイズやないかい!!」という猛烈なツッコミを心の中で入れてしまったのですが、ただ余りにも前評判どおりがっかり度合いが過ぎると、それはそれでまた感動するものですね。

 

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このときは私の他に観光客がいなかったため、せっかくなので橋を渡ってみることにしました。

それにしても、はりまや橋は全国的に有名な橋であるにも関わらず、どうして実物はこんなにも小さいサイズなのでしょうか?橋の側に設置されていた解説文を読んでみると、どうやらこの橋の両側には、かつて豪商として栄えた二つの名家が存在し、その名家の間にお堀が流れていたので、お互いの往来を容易にするために、お堀に橋を架けたのが始まりだということです。なるほど、はりまや橋がこんなにも小さいのは、単にお堀の端と端を繋ぐためだけに造られたものだったからなんですね。

(ちなみに、そんなはりまや橋が全国的な知名度を得たきっかけは、ご存知高知で古くから伝わる民謡「よさこい節」のはじめの一節、『土佐の 高知の はりまや橋で ~♪』にて名前が登場したからです。)

 

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お堀については、国道の反対側に目線を変えてみると、当時の名残を残すかのように今も水路が流れていました。それにしてもここからの眺めは、周りの景色とも相まって実に瀟洒な風景です。

 

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水路の方の風景が余りにも素晴らし過ぎたので、橋を降りてその周辺も少し散策してみました。水路の水は少し濁ったような感じの黄緑色をしていますが、それが周りの景色と絶妙に調和していて、思わずうっとりするような良い味を出しています。

 

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また、この一帯は景観が良いだけでなく、街路樹や植樹帯が植えられていたり、腰を下ろすスペースがあったりして、市民の憩いの場としても整備されていました。

私も何だか、木陰のところに座って、小一時間ほど読書にでも耽りたい気分になったのですが、如何せん本日の高知の気温は最高で32℃もあったため、やむを得ず周辺を見て回るだけで断念しました…。ただ、見てのとおり水路の周りには人はほとんどおらず、観光客や目障りなカップルなどは全くといっていいほど見かけなかったので、一人の人間が落ち着いてのんびりするには多分最高な場所だったと思います。

総合すると、はりまや橋自体は確かにがっかりスポットではありましたが、この水路一帯までを含めると、個人的には十分高知屈指の観光名所であったと思います。

 

帯屋町

 

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水路を抜けると、右側に帯屋町という大きな商店街通りが見えました。

さて、私は前回の記事にて、高知は私が好きな二つの映画の舞台となった場所だと書きましたが、その内の一つである『海がきこえる』にて、この帯屋町通りは登場しています。

 

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それがこちら。作品冒頭、主人公の杜崎拓と親友の松野豊が、学校の帰り道に帯屋町の商店街を通るシーンです。『海がきこえる』は放送されたのが1993年なので、もう25年の歳月が経っているわけですが、25年前も現在も、この通りの雰囲気や賑わいはそんなに変わっていないように感じます。

それと、『海がきこえる』のDVDには、放送から10年後の2003年に、当時の主要スタッフ一同が集って、『海がきこえる』という作品について語り合う、という特典映像が収録されています。その際、舞台となった高知の街を再度訪れて、作品で描かれた高知と2003年当時の高知の街並みを対比する、という面白い企画が試みられているのですが、それがこちら。

 

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今から15年前の帯屋町です。やはりこのときも、そんなに様子は変わっていないような感じですが、特典映像の中でも脚本を担当した中村氏が「(帯屋町の景色が)全然変わってないのが凄いよね。普通変わってるよね」と15年前の時点で発言されていたのが印象的でした。個人的には、帯屋町の変わらなさもそうですが、アニメにおける再現性の高さにも改めて感心してしまいました。

 

高知追手前高校

 

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帯屋町の商店街を北に抜けると、東西に延びる追手筋という通りに出ました。するとここで、この旅行で絶対に見ておきたかった建物の一つがこの目に飛び込んできました。

それがこの時計台が印象的な学校です。この学校の名前は「高知県高知追手前高校」といい、何を隠そうこの高校こそ、『海がきこえる』にて杜崎や松野、ヒロインの武藤里伽子が通っていた学校の校舎のモデルとなったところなのです。

 

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高知追手前高校は今年で創立140周年を迎える非常に長い歴史がある学校で、この校舎も(学校のHPによれば)昭和6年(1931年)落成と、80年近い歴史があります。なるほど、時計台を含めたこの校舎の外観が、非常に近代的な趣を感じさせられるのは、この学校の長い歴史によるものだったわけですが、実は外観だけでなく校舎の中も、まるで明治・大正期を思い起こさせるような構造となっているらしいです。残念ながら、部外者が中に入るわけにはいかないので、中の様子を実際にこの目で見ることはできませんでしたが…。

 

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アニメの中でも、歴史を感じさせるこの時計塔は頻繁に登場しています。ちなみに、この記事の冒頭で名前を出したやなせたかしさんは、この高知追手前高校出身だったりします。

 

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アニメから時間を10年巻き戻して、特典映像の方の高知追手前高校です。15年前と今とで変わっているところは、校舎を取り囲むブロック塀が工事中かどうかというところぐらいでしょうか。

(ちなみに、その工事はもしかして、先日発生した大阪府北部地震を受けてのものなのかなと一瞬思ったのですが、工事概要を見ると、発注は昨年度に既に行われており、どうやら南海トラフ地震対策の一環のもののようでした。)

 

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校舎の南西側に回り、正門を向いた角度の景色を撮ってみました。作品では、拓がこの方向に向かって歩いて行って、正門前で待っていた里伽子と初めて出会います。

 

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正門前で落ち合った拓と里伽子ですが、このときは一言も言葉を交わすことがないままその場を分かれ、初対面のシーンを終えます。

このように、『海がきこえる』において非常に重要な位置を占めている高知追手前高校ですが、一応念のため書いておくと、高知追手前高校はあくまで作品内における“校舎“のモデルとなったに過ぎません。拓や松野、里伽子の設定である「中高一貫の私立の進学校に通う生徒」という意味でのモデルとなった学校は、高校野球でも有名な「土佐高校」とされています。

 

さて、お目当ての一つであった高知追手前高校を無事に見ることができ、興奮してしまったのかこの後少し道に迷ったりもしましたが、次はいよいよ本日最大の目的地である高知城へと向かいます。

 

続く