夏の高知旅行1日目③ 高知城
南海の名城 高知城
いよいよ、高知のシンボルである高知城がある高知公園にやって来ました。まずは入口右側にある藤並神社という神社に立ち寄ってみます。
神社内には、この高知城を築いた人物である山内一豊の像が屹立していました。設置されたのはかなり昔のようで、高知駅前で見た坂本龍馬たちの銅像よりも随分出来の良い感じがします。
高知の街を見下ろすかのように前を向く山内一豊。格好良い雰囲気ですね。
神社を出て、正門である追手門から公園の中に入ります。ちなみに、追手門の左手前には「国寳高知城」と書かれた石碑がありますが、高知城が国宝と定められていたのは戦前の話であって、現在は国宝ではなく「重要文化財」の立ち位置であるとのことです。
追手門の石垣。巨大な岩石が重厚な印象を感じさせます。
板垣退助像横の階段を上り、公園の中心部に徐々に近づいて行きます。高知城は標高44mの小高い山の上に立つお城なので、本丸に辿り着くまでは結構階段を上る必要があり、そのためこのようなちょっとしたトレッキング気分が味わえるのです。
本丸、高知城天守を上る
体力を回復させ、いよいよ本丸へ突入します。二ノ丸から本丸へ行くには、こちらの「詰門」という渡り廊下のようになっている建物を通ることになります。
中はこのような木造建築です。襖は現代人の感覚からすると、少しばかり小さい印象を受けましたが、恐らく現代と江戸時代の日本人の体格の差が現れているのでしょう。
詰門を通り、ようやく本丸に到着しました。立て札にあるとおり、平成30年7月13日に観覧しました。
高知城の天守は高さ18.5mと、他のお城と比べると小ぶりな部類に入ります。大阪出身の私としては、地元の大阪城の天守と比べてしまうので、どうしても小さい感は否めなかったんですけど、それでも近くまで来たらやはり重層な印象を受けましたね。
入場券(420円)を購入し、中へ入ります。入ってすぐのところに「懐得館」と書かれた扁額が飾られていますが、懐得館とは高知城の本丸御殿のことを言い、天守自体は正確に言うとこのフロアの奥の方からになるみたいです。
中の様子。高知城や山内藩主などに関する歴史的資料が展示されていたり、縁側に腰掛けて一休みすることも出来ます。
2階に上がると、ここでは江戸時代の高知城郭の風景を再現したミニチュアがあったり、城の歴史を説明したパネルが展示されていたりしました。
さらに上がって3階。こちらにも、かつての高知城の概貌を精緻に再現した1/90のミニチュア模型が飾られていました。
4階。こちらには特に何もありませんでしたが、階を上がるにつれてどんどん面積が狭くなっているなあという印象を受けます。
5階。こちらでは、日本全国のお城に関する写真と解説文が展示されていました。
余談ですが、ここで高知城以外のお城の解説文を一つ一つ読んでいくと、日本の城は大きく分けて“二つ“の種類に分けられることに気づくと思います。それは、
「現存天守か、否か」
ということです。
ここまで事細かに高知城のことを述べておきながら「現存天守」などというワードは一度も出してきませんでしたが、実は高知城も「現存天守」です。他に姫路城や彦根城なども現存天守と呼ばれていますが、冷静に考えるとこのワード、おかしいと思いませんか?
どういうことかと言うと、少なくともこのフロアに飾られている全てのお城の写真には「天守」が映し出されています。私の地元にある大阪城や名古屋城なども、確かにそこに「天守」という物体は“現存“しているはずです。なのに、「“現存“天守」というワードになると、大阪城や名古屋城はそこから除外されてしまいます。
…このような混乱が生じてしまう原因として、そもそもの話「現存」という言葉の使い方自体が間違っている(説明不十分である)からだと私は思っています。つまり、「現存」という言葉の前には以下の“補足“説明文が必要なのです。それは、
「(江戸時代以前から)現存」
しているか、ということです。
こうして考えれば、どうして高知城が「現存天守」と呼ばれているのかが理解できるでしょう。これまでの高知城の天守の写真を見ても分かるとおり、その構造はコンクリートではなく完全な木造作りとなっています。そしてそれは姫路城や彦根城などでも同じことです。現存天守と認定されるには、文化庁の指導による徹底した伝統的城郭建築技法に則った建設が必要であり、だからこそ現存天守は“価値がある“と一般に認められているというわけです。(ちなみに、高知城はその中でも、天守と本丸御殿両方が現存している、日本で唯一の城でもあるということです。)
一方で、現存天守以外のその他大勢のお城はどうでしょう。大阪城や名古屋城などは、みな明治以降の近現代に造られた建物です。構造も、木造ではなく鉄筋コンクリートの造りをしています。また、建設の用途についても、本来の城の目的である「戦時の際の籠城」や「藩主の権威の発揚」などといった軍事的・政治的目的ではなく、単に観光客の誘致のためだったりします。
これでは、本当のお城というよりは、「お城を似せて造った巨大建造物の一種」などと見なされても仕方ありません。だから、大阪城や名古屋城などは「現存天守」として認められていない、というわけです。
ただし、現存天守だからといって何から何まで良い、現存天守以外は悪い、というわけでもないと私は思います。例えば、高知城天守の階段はかなり急なため、とてもじゃないがバリアフリーに配慮しているとは言えない環境です。また、築年数はおよそ300年ということで、床はキシキシ軋むし、階段横に付いている窓も、当時は窓ガラスなんて付けるはずありませんから、当然のように吹き抜けです。高所恐怖症の私としては、あまり居心地の良い環境とは言えませんでした。
いよいよ最上階に到着しました。が、面積はご覧のとおりかなり狭くなっており、ツアー客が大挙して押し寄せたときなどはかなり窮屈しそうな感じです。(幸いなことに、このときは私含めて数人しかいませんでしたが。)
また、このフロアは望楼ということで、四方の壁は取り払われており、縁側から高知市内を一望できるようになっています。
……が、高所恐怖症の私としてはこれでも十分に怖かったです。。天守の高さ自体はそうでもないのですが、小山の上に立っているからかその分の高さがプラスされ、実際よりもさらに高く感じられます。それに、やっぱり窓ガラスのような遮るものがないと、私には駄目みたいです。
ちなみに、こちらの写真は二ノ丸の方を見下ろした際の風景です。目印である日本国旗がたなびいています。
こちらは追手門とその周辺。右に目線を移すと、高知追手前高校やはりまや橋が見えてくるはずです。
真下を見下ろすとこんな感じ。やっぱり高さ18mとはとても思えないです。ちなみに、ここの6階の壁には、「昼寝禁止」という張り紙が貼ってあったのですが、こんな高い所で暢気に昼寝できるとは私には到底考えられません。
結局、見晴らし自体は最高だったのですが、高所恐怖症という持って生まれた体質により、勿体ないですが10分くらいで天守を跡にしてしまいました。
天守を出て、最後に黒鉄門という裏門から本丸の周りを沿うようにして坂道を下り、三ノ丸に戻りました。
実は、私が前回天守閣に入ったのは、小学校のときに社会学習で大阪城の中に入って以来で、結構久しぶりだったのですが、それもあってか今回は新鮮な気持ちで高知城を楽しむことができました。現存天守は高知城を除くと残り11あり、全て回るのは全然不可能な数字ではないので、この際全ての現存天守を回ってみようかなとこのとき決心したのでした。
高知城については、『海がきこえる』にて夜のライトアップされた姿も登場しているので、夜になったらまた再度訪問するつもりです。
続く