旅の記録

旅ブログです。

20180401 早稲田大学入学式

新年度に入り、全国各地で入学式や入社式が行われています。

私の弟もこの度、早稲田大学に入学することになったので、今回は父兄として早稲田大学の入学式を見に行ってきました。

  

お祭り騒ぎの早稲田キャンパス

早稲田大学は学部によって、早稲田、西早稲田、戸山、所沢とキャンパスが別れています。今回行ってきたのはメインである早稲田キャンパスです。
 
東京メトロ東西線早稲田駅で降り立ちます。
早稲田と言えば高田馬場のイメージがありますが、高田馬場駅から早稲田キャンパスまでは徒歩20分ぐらいかかります。早稲田キャンパスへは東西線早稲田駅からが最も近く、歩いて5分ほどで到着しました。
  

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早稲田駅周辺は早大生で大賑わい。道順を分かっていなくても、人の流れに乗れば簡単に早稲田キャンパスまで辿り着けました。
 

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門の前は見てのとおり物凄い人だかりです。
しかしその実は、いたいけな新入生を自身のサークルに引き込もうと手をこまねいている上級生達が大半を占めています。
 

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軟式テニスサークルやら自動車部やらアニメーション同好会やら、様々なサークルがあちこちで勧誘活動を行っており、キャンパス内はもはやお祭り騒ぎ状態です。
あまりにも人が多過ぎて、かの有名な大隈重信像にも全く近づけそうにありません。
 
 
ちなみに、、私の年齢はまだ20代半ばなので、もしかしたら自分も勧誘を受けるのではと若干の期待をしていたのですが、結果はゼロ。。
さすがにもう若くは見られないのか………と少し落ち込みましたが、よくよく考えたら今回は私服で行ったので、本来スーツ姿の新入生と間違えられるはずがありませんでした。
もしこれが下手にスーツで行った場合は、面倒臭い勧誘を受けていた可能性は大いにあります(笑)
 

 名門・早稲田の入学式

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お祭り騒ぎから抜け出し、父兄用の入学式同時中継会場がある3号館に到着しました。
この棟では、普段は政治経済学部の学生が利用しているとのことです。
 

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それにしても、おっそろしく高い建物です。
私は割としょぼい大学に通っていたこともあり、このようなマンモス私大の巨大な建物には一種の憧れを感じています。
 

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中もこのように豪華絢爛。
学校なのにエスカレーターがあるという時点で、他の学校との違いを感じさせられます。
 

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同時中継は3~5階の各教室で行われ、スクリーンには大隈講堂で行われている入学式の様子が映し出されていました。
 
開始直前にはグリークラブによる校歌指導が。
ただ歌詞を読み上げるだけでなく、
 
「校歌を歌う際は右腕を斜め上に伸ばし、曲に合わせて上げ下ろしする。手は握り拳ではなく、学生帽を掴んでいるイメージで少しだけ指の間を空ける」
 
と指示も細かい。
 

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式が始まり、まずは総長と学部長による有難いお話。
しかし、学長は同じような話を今日だけで既に3回もしているからか、抑揚がなく淡々とした喋り口調で、父兄の中には居眠りしてしまっている人も……。
 
ちなみに、早稲田の入学式は学部別に行われていたので、一回分の入学式の規模はそれほど大きくはありませんでした。
 

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祝辞と登壇者紹介が終わり、最後に早大入学式の名物、応援部によるパフォーマンスが行われました。
噂に違わぬ応援団のノリノリ、キレキレ、そして騒ぎっぷりに、スクリーン越しから見る父兄達は一同驚きの様子でしたが、肝心の新入生の方は応援団の勢いに全く付いていけず、応援団と新入生の間で明かな温度差があったのが端から見て面白かったです(笑)
 
それにしても、入学式という公的な場に応援部が公然と登場するとは、大学当局の寛容さにも冷静に考えたら驚かされますが、だからこそ早稲田は日本有数の愛校心を育むことができているのでしょう。
 

歴史館から学ぶ“早稲田“の由来
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式終了後、3号館の向かい側にある歴史館に入ってみました。

今年の3月に出来たばかりの新しい建物のようで、内装はまさしく博物館そのもの。

 

中は写真撮影禁止のため、展示物を写真で紹介することはできませんが、その内容は早稲田関係者でなくとも非常に興味をそそられるものでした。

創始者である大隈重信の生い立ちの紹介から、初代大隈重信銅像のレプリカ、果ては大隈重信の演説時の音源まで、盛り沢山の内容でした。

 

 

その中でも個人的に一番興味深かったのが、開校当初の校舎周辺を写した写真でした。

元々は「東京専門学校」という名称だった早稲田大学は、その周囲を田んぼに囲まれ、まさしく「早稲田」という名称どおりの風景の中にある学校だったのです。

 

………と、ここで、

“「早稲田」という名称どおり“

の意味が分からなかった方は、高校時代の日本史の授業を思い出してみてください。

 

室町時代、品種改良によって

早稲、中稲、晩稲

という新しい品種の稲が作られました。

それぞれは収穫時期が異なり、早稲(わせ)はその名のとおり収穫時期が通常よりも“早い“稲のことです。

早稲田大学の名前の由来となった早稲田村(ここに大隈重信の別邸があった)には、凶作に備えて通常よりも早い時期に植える田があったということですから、やはり早稲田という名前は

 

“早稲の田があるから早稲田“

 

ということに由来したでしょう。

 

(ちなみに、埼玉県三郷市にも“早稲田“という地名があります。一度行ったことがあるのですが、やはり田んぼが多かった印象で、由来も新米の収穫が早いことで有名だったからだそうです)

 

 

 

結局、歴史館は閉館時間の関係で半分も見て回れなかったのですが、早稲田キャンパス内には他にも、早稲田スポーツ展や坪内逍遙記念演劇博物館などがあるということなので、普通に観光目的で訪れても楽しめるかもしれません。