旅の記録

旅ブログです。

台湾旅行3日目③ 烏山頭ダム


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12時40分頃、烏山頭ダムの最寄り駅である隆田駅に到着しました。駅前にはロータリーが広がっていますが、ここに停まってあるタクシー(写真でいう黄色の車)をチャーターして烏山頭ダムへ向かいます。隆田駅は烏山頭ダムの最寄り駅といっても、駅からダムまでは7kmほどの距離があるので、駅からはタクシーを使って行くのが一般的な手段なのです。

さて、写真のとおりタクシーが何台か停まっているのが見えたので、早速チャーターしてもよかったのですが、その前にちょっと隆田駅の周辺を散策してみようと、一瞬ロータリーからその場を離れました。そしたらそれが原因で大変なことに。

ものの5分ほどでロータリーに戻ってきたところ、何とタクシーが一台も見当たらない!どうやら5分間離れている隙に全てのタクシーがどこかへ行ってしまったようなのですが、事前に仕入れた情報だとロータリーにはタクシーがうようよいるみたいなことが書かれてあったので、まさかタクシーがチャーターできない事態に陥るとは露程も思っていませんでした。

時刻はもう午後1時を回ろうかというところ。時間的にもそんなに余裕がないし、まさかせっかくここまで来たのに烏山頭ダムに行けずに帰るのか!?と若干パニック気味になったのですが、それから10分程して一台のタクシーがロータリーに停まりました。私はすぐさまそのタクシーに近づき、何とか烏山頭ダムへチャーターすることに成功。どうやらタクシーが一台もいなくても、しばらく待てば新たなタクシーがやって来るようなので、もし同じルートで観光される方は慌てずに……。

 

烏山頭ダムの美しい風景と、八田與一技師の銅像

一瞬危ないところでしたが、とりあえずタクシーをチャーターできて一安心。ちなみにチャーター料は800NT$(=2,960円)。これは隆田駅前の全てのタクシーに共通しているようで、また料金の内訳は烏山頭ダムへの道のりだけでなく、烏山頭ダム内の主要な観光ルートを巡って、最後に駅まで戻ってくるまでの全ての道のりを含めて800NT$となっています。烏山頭ダムは駅から離れているだけでなく、ダム自体が広大なので観光するには徒歩は適さず、自然とタクシーをチャーターして回るシステムが定着したようです。


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あとは、隆田駅前のタクシーはほぼ烏山頭ダム観光向けのタクシーなので、運転手さんも隆田駅に降り立った日本人は烏山頭ダムに行きたいんだなということが最初から分かっており、話は非常にまとまりやすいです。私のようなコミュ障が一人で行っても問題なし。

ただし、今回チャーターしたタクシーの運転手さんは、英語は話せるものの日本語は話せないようだったので、英語が全然聞き取れない自分は少し苦労しました。車中でも会話はほとんどなく……。


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ダムへは15分ほどで到着しました。入り口を通るときに受付へ別途200NT$(=740円)支払います。中へ入って程なくした所で降ろされたのですが、英語でここの場所の説明をされてもほとんど理解ができませんでした。とりあえず目の前の道を歩いてみます。


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右手を見ると、どうやらここはこのダムを設計、監督した八田與一技師の銅像があるようでした。しかし、この時は銅像の周りにツアーで来たらしい観光客が取り囲んでいたため、雰囲気的に近づくことができず…。とりあえず銅像は後回しにして、さらに奥の方へと進んでみました。


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さらに奥の右手には、ダム建設時に使われていた蒸気機関車が飾られていました。この蒸気機関車は土壌や作業員を運搬するために活躍していたらしく、当時まだトラックが一般的でない時代において貴重な輸送手段であったそうです。


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そして左手には、烏山頭ダムの湖水が広がっていました!さっそくその先の方へ行ってみます。


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湖水の周囲には堰堤の道が一直線に続いています。私はこういう一本道の景色が大好きなんですよね。北海道の雄大な景色が想起されるような感じがして。


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ガードレールの上には等間隔でちっちゃな風車が置かれており、可愛い気があります。


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そして烏山頭ダムの壮大な眺め!余りにも大きくて、途中の小島が邪魔して対岸が全く見えません。烏山頭ダムには観光名所が幾つかありますが、それもこのダム全体に比べたら本当に僅かな一部分にしか過ぎないんですよね。


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このままいつまでも堰堤の一本道を歩き続けたかったところですが、さすがに長過ぎるので切りが良いところで引き上げ、今度は取水口の近くまで行ってみました。それにしてもエメラルドグリーンの水面が本当に美しい…。

もし単独で来ていたのなら、ここで気が済むまでダムの風景を見続けたいところだったのですが、自分のことを待っているタクシーの運転手さんが少し気にかかったので、こちらもある程度のところで切り上げて元の場所へ戻ることにしました。ただ、ダムの湖の景色がこんなに美しいとは思っていなかったので、感動的な経験が少しでも出来て本当に良かったです。


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そしてタクシーへの帰り道、先ほどは観光客に囲まれて見えなかった八田與一技師の銅像にお目見えすることができました。普通、偉人の銅像って、例えばクラーク博士のように格好いいポーズを決めているものですけど、こと八田技師についてはそのような雰囲気は全く感じられません。

この銅像はダム完成後、地元の人々の意向によって作製されたものなのですが、八田技師本人は銅像の設置を固辞していました。しかし、地元の人々の熱意に押されたため、仕方なくこのような一見剽軽なポーズ(どのようなダムを造るか真面目に考えている姿がイメージされている)で設置されるようになったということです。このエピソードからも、八田技師の謙虚さが台湾の人々に受け入れられた理由の一つなのだということが伺い知れます。

ちなみに、私がここへ訪問したちょうど1年程前、この銅像の首部分が切断され頭部が持ち去られるという悪質な事件が起こっています。それでも、台南市長(※)の迅速な行動により銅像はすぐに修復され、毎年5月8日(八田技師の命日)に開催されている慰霊祭には間に合いました。台湾には日本による統治時代を快く思わない層も一定数おり、彼らにとって八田技師は日本時代の偉人として何としても認めたくない存在であるわけですが、それ以上に八田技師を讃える人々の想いの方が強かったということですね。

(※烏山頭ダムの所在地は嘉義ではなく台南市という所です。)

 

結局30分弱も見て回りましたが、タクシーのところへ戻ると運転手さんが少し心配していたのか、タクシーの外へ出て待っていました。ちょっと申し訳なかったので、次はもう少し早く見て回ろうと思ったのでした。

 

旧放水口と八田技師記念室


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タクシーに再び乗り込み、次に向かったのは八田技師記念室というところです。


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と、その前に、記念室のすぐ横にある放水口に寄ってみました。


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この放水口は現在は補助的な役割しか果たしておらず、新しい放水口が別の場所にあるということですが、それでも放水される水の勢いはかなり凄い!お陰でこの付近だけ妙に涼しく感じられます。マイナスイオン効果ってやつですね。


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そしてこの旧放水口は、映画『KANO』の撮影現場にも使われたそうで、写真のとおり烏山頭ダムが完成したその日に、八田技師たちが船で遊覧していたシーンのロケ地となったということです。

それともう一つ、この旧放水口には悲しい歴史もあり、戦争終結直後の1945年9月1日、八田技師の奥さんである外代樹(とよき)さんが身を投げて自殺した場所でもあります。夫の與一氏はその3年前、徴用のため船でフィリピンに向かう途中、アメリカの潜水艦に撃沈され既に戦死しており、二人は先ほどの銅像の後方に建てられたお墓の下に眠っています。

 

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続いて記念室内の見学。中はそれほど大きくはないですが、八田技師に関する諸展示物に加え、日本からの感謝状等も飾ってありました。上は八田夫婦が揃って写った生前最後の写真。この一ヶ月後、夫の與一氏は海上で戦死する運命を辿ります。


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工事中の現場の様子の写真も展示されていました。送水管も排水管の暗渠も物凄い大きさです。これは現代の日本で行っても大工事だと思いますが、80年以上前となるとさらに大変だったのは言わずもがな。実際、10年間の工事の間には100名以上の犠牲者がでたということです。

 

虹のつり橋


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記念室内はクーラーが効いていて中々快適でした。続いて訪れたのはダム南東にある「虹のつり橋」という巨大なつり橋。


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来たからには当然つり橋を渡るわけですが、入口にはなんと「毎次限載10人」という一文が…。つり橋は長さ79mとまあまあ大きいのですが、なのに定員が10人ってちょっと脆すぎないか!?


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しかも足下はこのように板と板の間が丸見えだし……。実は私は根っからの高所恐怖症でして、こういうつり橋的なものは苦手なんですよね。。

そういうわけで一人ビビっていると、橋の向こう側にいたタクシーの運転手さんが私の方を見て爆笑していました。まあ思わず笑ってしまう気持ちは分かるが…。でもこのとき、何だか運転手さんと心が通じ合ったような気がして、ちょっと嬉しかったです。


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橋が架かっている真下の部分は余水吐といい、ダムが増水したときに余分な水を放出する役割を果たしているとのことです。


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ビビりながらも何とか橋の向こう側まで歩いて行こうとしたら、若い男女が邪魔して向こう側まで行くことはできず。。仕方がないので半分もいかないところで退却しました。


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つり橋の近辺も少し散策してみました。ダムの湖水がまた見えたのでしばし眺める。こちら側には遊覧船が停泊しており、航行している船も見えました。


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堰堤が蒸気機関車銅像のところまでずっと続いています。この辺には家族で来たらしい観光客もかなり見かけました。レジャーシートを広げてお弁当を食べていたり、ここは地元の人々にとっての憩いの場にもなっているのだなあということが感じられました。

 

八田與一記念公園


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烏山頭ダム内の観光はこれぐらいで終了し、最後にダム外のすぐ近くにある八田與一記念公園というところに立ち寄りました。

その前に、公園前を通る道路の名前を見てください。「八田路」。何と八田技師は、台湾の道路の名前にまでなっているのです。海外に知られている日本人は数あれど、海外の道路の名前にまで冠されている日本人というのはほとんどいないのではないでしょうか。


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公園内に入ると、左手には旧日本式家屋の家々が建ち並んでいました。これらは八田技師をはじめ、当時のダム建設に関わった人々の住居の一部を再現したものであり、戦前の台湾に住んでいた日本人の生活様式を垣間見れるという意味でも、興味深い建築となっています。


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こちらが旧八田邸。元々は基礎しか残っておらず、復元されたのは2011年とつい最近のことです。


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庭の方に回ると、台湾島を模した池まで再現されていました。八田技師は仕事が終わると、よくこの池に向かって考え事を巡らせていたそうです。


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中に入れるところもありました。同じ日本人なのに、こういう昔ながらの和室の空間というのは何だか新鮮に感じられます。


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旧八田邸の反対側にはこのようにちょっとした広場があり、写真左側にはお土産屋さん、右側には烏山頭ダムや八田技師についての展示室ありました。せっかくなので右側の展示室の方にも寄ってみます。


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しばらく展示物を眺めていると、突然私に話しかけてくる人が。この展示室の受付にいた若い男性の方だったのですが、台湾人の若者なのに日本語がめちゃくちゃ上手!この台湾旅行の中で圧倒的に日本語が上手い方でした。
少し烏山頭ダムや八田技師のことについて質問させていただいたのですが、突然話しかけられたこともあり、思っていたことの半分も聞けなかったな~、というのが正直な感想です。本当は、「八田技師は本当に台湾の教科書に載っているんですか?」って聞いてみたかったんですけど。。

 

 

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以上で、約2時間に渡る烏山頭ダムを巡る旅はこれにて終了です。隆田駅に戻って運転手さんとお別れし、嘉義へ戻る電車を待ちます。

さて、今回烏山頭ダムに実際に訪れたことで、個人的に強く感じたことが二つありました。

一つ目は、八田與一技師のことを「台湾を愛した“日本人“」ではなく「台湾を愛した“外国人“」と表現していたということ。台湾は世界随一の親日国なので、「台湾人は“日本人“に媚びて八田技師を敬愛している」んだと意地悪な人は思うかもしれませんが、実際はそうではなく、彼らはあくまで「“その他大勢“の外国人の内の一人として、台湾を愛してくれた八田技師を尊敬している」のであり、そういった台湾の人々の想いが烏山頭ダムを訪れたことで伝わってきました。

二つ目は、ダムを訪れていた観光客のほとんどが台湾人であったということ。今回私が目にした限り、ツアー客も家族連れで来ていた人もカップルで来ていた人も、そのほとんど全てが台湾人で、日本語が耳に入ることは今回一切ありませんでした(私が認識できていないだけでしょうが)。

このダムは日本人である八田與一技師が設計、監督して完成したダムで、今ではその功績を讃える展示物が数多く設置されています。なので本来は、当人である日本人が数多く訪れていてもいいようなものですが、実際に訪れているのは現地の人々の方が圧倒的に多いのです。

「台湾は日本のことが大好きなのに、日本は台湾のことを全然振り向いてくれない」

とはよく言われますが、何だか烏山頭ダムでその縮図が見られたような気がしました。

 

続く