旅の記録

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台湾旅行1日目④ 中正紀念堂

台北101は昼食を取っただけで後にし、その後は当初は九份へ行く予定でした。しかし、台湾旅行へ行く直前になって、この日の夜に父親の友人で台湾人の方と一緒に食事に行くこととなり、そうすると九份は時間的に間に合わなくなるので、今日はやむを得ず取り止めとしました。まあ九份は別の日に行けばいっかなー、とこの時は安易に考えていたのですが、冷静に考えると明日、明後日はスケジュールが詰まっているので完全に無理、明々後日の最終日の午前中しか空いている時間がないという状況で、正直かなりきついというのが現状でした。

というわけでこれから夜の7時まで暇に。時間は全然あるので、九份の代わりにもう一つ観光名所へ行っておこうと、最終日に行く予定だった中正紀念堂をスライドして行ってみることにしました。

 

中正紀念堂

 

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中正紀念堂の最寄駅である中正紀念堂駅は、台北101/世貿駅と同じMRT淡水信義線の沿線にあり、台北101からのアクセスは非常に良好です。写真は中正紀念堂駅のホームの様子ですが、それにしてもMRTは比較的最近出来たということもありとても綺麗ですよね。

 

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駅舎の外装はこんな感じ。中正紀念堂の建物と外観を合わせている感じです。

 

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5番出口から中に入ると、いきなりドデカい建物が。これは國家戯劇院といい、演劇が催される建物だそうです。

 

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國家戯劇院より広場内部を眺める。反対側にはコンサートが催される國家音樂廳、そして左側には巨大な白門である自由廣場門が見えます。

 

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自由廣場門の前まで行ってみましたが、本当に大きい。しかし近くで見ると、白色ということもあり傷が少し目立つようにも見えましたが…。

ちなみに「自由」という言葉は、かつて大陸の方の中国(中華人民共和国)と対をなす為に台湾の方の中国(中華民國)がよく使っていた言葉です(いわゆる「自由中国」という自称)。確かに現在の台湾は「自由中国」の名に相応しい社会を築き上げましたが、この門が建設された当時は台湾では戒厳令が敷かれており、とてもじゃないが「“自由“中国」などとは言えない状態だった、ということを頭に入れておくと、また違った目でこの門を見ることができます。

「白」という色も、共産主義の「赤」色と対比させるために使用された色で、当時の人からしたら自由の象徴と言うよりかは「白色テロ」というおぞましい弾圧政策の方を想起させられることでしょう。

 

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門入口から自由廣場の方に向き合う。反対側に見えるのが中正紀念堂です。

 

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今更の説明となりますが、中正紀念堂とは故・蒋介石を讃えるために建設された施設のことです。「中正」とは蒋介石の本名で、「介石」というのは実は字(あざな)、日本留学時代に付けられたペンネームなのです。写真は國家音樂廳より撮ったものですが、例によってこの建物もとにかくデカい。

 

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紀念堂正面には中華民國の国旗・青天白日旗が掲げられていました。このポールもまた高いこと。

 

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紀念堂の目の前まで来ました。この階段の段数は蒋介石の享年89歳に合わせて89段あるらしいですが、実際に上りながら数えてみたらそんなになかったような。。

 

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階段を上り切って広場の方を振り返るとこんな感じ。あんなに大きかった自由廣場門があんな遠くに…。そして上から見たら、芝の手入れが素晴らしいということもよく分かります。

 

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中正紀念堂入口。さっそく中に入ってみます。

 

中正紀念堂内部、衛兵交代式

 

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中には蒋介石の超デカい銅像がドーンと鎮座していました。個人的には微妙に笑みを浮かべているのが何か気になる。

 

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天井には青天白日の紋様が。

 

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そして蒋介石像の手前左右には、護衛のための若い衛兵二人が直立不動の状態でじっと立っていました。彼らは観光客にじろじろ見られても写真を撮られたりしても全く微動だにせず、その一切体を動かさない姿には感服させられます。

ちなみにこの衛兵達は、毎日午前10時から1時間おきに交代の儀式を執り行っていて、それが現在の台湾における観光名物の一つとなっています。私もそれ目当てでここまで来たのですが、現在の時刻は午後2時20分過ぎで、交代式まではまだ少し時間があります。その間の暇潰しにと、紀念堂の奥の方へも行ってみました。

 

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蒋介石像があるのは紀念堂の建物の中の最上階のフロアなのですが、下に降りていくと紀念堂の紹介コーナーから写真・絵画といった美術作品の展覧会まで、割と様々なブースが設けられていて、見て回っていて飽きませんでした。一番下の写真は1階のホールの様子なのですが、この階には蒋介石の業績を紹介する展示コーナーがあります。個人的にはかなり興味があったのですが、そろそろ午後3時になりそうだったので、交代式を見に一端銅像のあるフロアへ戻りました。

14:55ぐらいには蒋介石像の前に戻ったのですが、フロアには既に大勢のギャラリーによって埋め尽くされていて、私は何とか右側角っこの位置に陣取ることができました。すると間もなくして「ドーーン!!」という大きな音がフロア全体に響き渡り、同時に先導役の衛兵一人と交代役の衛兵二人が丁度私の目の前に現れました。


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いきなりのことだったので少し驚きましたが、どうやらその音は新しくやって来た衛兵が銃剣の柄の先を床に叩きつけたことによるものだったようです。衛兵たちは蒋介石像の前までゆっくりと行進していき、行進が終わると今度は直立不動の状態だった二人の衛兵が動き出し、同様に蒋介石像の前までゆっくり歩いていきます。


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その後は銃剣の確認がしばらく続き、交代役の衛兵が台座に登壇。任務を終えた衛兵と先導役の衛兵が出入口まで戻って、儀式終了となります。


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時間にしておよそ13分。凄く厳かな雰囲気の中行われ、また衛兵たちの一子乱れぬ一挙手一投足の様子は、例え観光客向けの演出だと分かっていても凄い迫力がありました。これは一見する価値があると思います。(ただし、交代式の開始は実際には○時00分の数分前には始まっている、ということに注意してください。)

ちなみに上の写真は、衛兵の交代が完了し任務を終えた衛兵が戻って来るところなのですが、右上の方を見ると、監視役の人が新しく護衛に就いた衛兵の服の皺を整えており、その様子が何か可笑しかったです。

 

さて、交代式が終わり、あとは先ほど見たかった蒋介石の展示コーナーを見て帰ろうと、1階のホールまで降りて行ったら、何と任務を終えた衛兵たちがまだいました!(笑)

 

思わず動画で撮ってしまったものを、私のTwitter経由で紹介します。周りを行き交う観光客の中を堂々と行進する様子は、何だかシュールにも見えました。というわけで、衛兵の行進する姿をまだ見たい方は、交代式後1階までダッシュしましょう!(笑)

 

蒋介石

 ……さて、改めて蒋介石の展示コーナーを見て回ります。規模はかなり大きく、氏の生い立ちや業績に合わせて11のユニットに分類されているので、一通り見て回ると結構な時間がかかりました。


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このように各国の首脳から送られた勲章等がたくさん展示されており、蒋介石がいかに有能な政治家で、他国からも認められた存在だったかということが誇示されています。


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蒋介石晩年の専用車。車長632cm,車幅208cm,車高150cm,重量2tで防弾ガラスや安全装置完備。国のトップが乗る車っていうのはこんな感じなんですね。


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総統府内にあった蒋介石の執務室まで丁寧に再現されていました。

 

ぱーっと見た感じ、展示内容はとにかく蒋介石を偉大な人物として讃えるものばかりで、まあこういう施設なので当たり前ではありますけど、要するにプロパガンダってことですよね。私の率直な感想としては、蒋介石国共内戦中国共産党に敗北した「敗者」であるにも関わらず、台湾に逃げ込んで独裁政権を敷き、国民に自身の偉大さを説く教育を行ったことで、結果このような立派な施設が造られ今も崇拝の対象となっているんだから、何とまあいい身分だよなー、と思いました。(戦争における「敗者」が、その後どのような歴史的評価を受けるかということは、日本人であればよ~く理解していることでしょう。)

ただ、中国国民党が本来教育したいことというのはこういう感じなんだ、と窺い知れるという意味では、中々興味深い内容ではあったと思いますし、また中国の歴史観によくある、日本のことを執拗に敵視し貶めるような内容や叙述(例えば『蒋介石は暴虐な憎き日帝を抗日戦線で打ち破った誉れ高き英雄である!』みたいな)はあまり見かけなかったので、その辺は台湾らしく日本への配慮みたいなものがあるのかな、と思ったりもしました。(これが大陸中国や韓国だったらそうはいかないでしょう。)

 

まとめると、中正紀念堂は確かに台湾三大名所に相応しい壮大で立派な施設ではありましたが、その展示内容についてはかなりバイアスがかかっているので、無批判に受け入れることはしない方がいい、ということです。

バイアスについて何か例を挙げるとすると、例えば前の方でちょろっと書いた「白色テロ」については、ここでは一切触れられていません。その代わり、

「……当時の米ソ冷戦状況下で、台湾での統治権を強化し、国内の政局を安定させ、共産党の侵入を拒んでいました。……」

などといったように書き替えられています。(実際は、「共産党のスパイの侵入を防ぐ」という名目で疑わしい者を片っ端から粛清していったが、結果はほとんどが無実の人だった。それがいわゆる白色テロ。また、『統治権を強化し、国内の政局を安定させ』というのも、要するに戒厳令を続けたり憲法の三選禁止を無視したりして、自身の独裁色を強めただけ。)

また、中正紀念堂を紹介するWebページの中には、蒋介石銅像はもう二度と戻ることができない大陸中国の方角を向いていて、だから蒋介石はさも悲劇的な人物であるかのような取り上げ方をしているところもありますが、それって翻せば蒋介石は「台湾」の方を向いていないってことですからね。蒋介石にとって台湾は所詮「大陸反攻」の基地に過ぎず、再び大陸中国を制圧するための「踏み台」にしか思っていなかったのです。

………蒋介石像の眼下には広大な自由廣場が広がっていますが、台湾社会における「自由」を成し遂げたのは蒋介石ではなく、生粋の台湾人である李登輝氏でしょう。今の台湾社会が自由で民主的で、そして人々が親日的な感情を持っているのも、李登輝氏の力によるところが非常に大きく、日本人としては蒋介石という“中国人“を讃える施設を訪れるのもいいですが、一方で李登輝氏という“台湾人“に想いを馳せることも必要なのではないでしょうか。

 

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…さて、中正紀念堂を見学し終わった後は、もう時間もそんなにないし何より疲れが酷いので、一目散にホテルへ戻り、ベッドで1時間ほどの仮眠を取りました。そして午後6時に予定どおり父親の友人の方とお会いし、ホテルから程近い「青葉」というお店で食事を取りました。(「青葉」は地球の歩き方台北のグルメページでトップに載っていたので、かなり有名なお店なようです。)

相手の方は前述したように台湾人だったのですが、日本語が達者な方だったので、台湾語も英語も喋れない私でもそこまで会話に困りませんでした。ただ、やっぱり台湾語はきついにしても、英語ぐらいは喋れるようになれば、もっと他に色々と話すことができたのになー、と後悔もしました。。

それでも、美味しい台湾料理をたくさん食べることができ、ついでに台湾ビールも飲め(私は海外ではアルコールを摂取しないようにしているのですが、今回は勧められるがままに飲んでしまいました)、楽しい一時を過ごせました。ご馳走様でした!

…で、相手の方と別れた後は、直行でホテルに戻り、死んだように眠りました。今日は朝の7:35に台湾に着いたので、初日とはいえかなり長い一日となりました。そして明日は、この旅行の中で一番のハードスケジュールの日となっています。果たして私の身体は耐えられるのでしょうか…。

 

2日目へ続く